KOGISO SHINSUKE

毎日がエブリディ

KOGISO SHINSUKE

趣味映画

10.31, 2013

1991-2

 

高校時代。 -続き2- 前回はコチラ

就職試験先が決まった僕はそれから試験日まで猛勉強した。今までで一番勉強した。

テレビとゲームを禁止し、バイトも休みを増やした。

試験は一般教養・コンピュータ関連の筆記試験、そして面接だ。

 

いよいよ採用試験当日、会場に到着すると、そこには30名を越す高校生達が集まっていた。

採用枠は6人。思ってた以上に倍率高ぇ。これ受かるんかいな。周りの高校生が皆賢そうに見える。

できる!やれる!できる!やれる!できる!手の平に人、人、人。自信を喪失しかけた僕は小さな声で自分に暗示をかけた。

横を見ると同じように不安そうな顔をした佐藤が大きな体を丸め、小声でブツブツと暗示をつぶやいていた。気持ち悪いなと思った。

 

暗示が効いたのか午前中の筆記試験は完璧だった。恐らく満点に近い数字だったと思う。やれば出来る子。

そして午後からは面接。僕は長い待ち時間の後、最後の面接者として面接会場に入った。

面接官は2人。総務課長と総務部長。課長は40代ぽっちゃりさん、部長は50代くらいのガリ。

面接対策もしていたので、前半の定番の質問、出身やら志望動機やら部活頑張ったよ(ウソ)等を答え、あとは後半のフリートーク。

 

ぽっちゃり課長が質問してきた。「趣味に映画とありますが、最近観て面白かった映画はなんですか?」

僕は履歴書にあたりさわりのない趣味「映画鑑賞」を記入していた。

「面白かった映画は「バック・トゥ・ザ・フューチャーPART3」です!」元気良く答えた。勿論想定内だ。

そしたらニコニコしてたガリ部長が続けざま「それは、どんなストーリーでしたか?」とのたまった・・・・。

 

おそらくガリ部長は「バック・トゥ・ザ・フューチャー」という映画を知らないので気軽にご質問されたのだろう。

僕は考えた。バック・トゥ・ザ・フューチャーPART3を説明するにはPART1とPART2の説明は欠かせない。

しかもストーリーは現在・過去・未来と縦横無尽に登場人物もややこやしく展開される。

これを自分の言葉で説明せぇと?面接の場で?マジですか?

 

これさ、ガリさんの気まぐれじゃん、別に知りたくもないけどちょっと聞いてみよっ!て感じで聞いてみただけじゃん、

そんなに興味もないでしょ?と思ったが、うまく答えないといけない。

かいたことのない汗が全身から一気に吹き出した。

就職戦線

10.27, 2013

1990

 

高校時代。 -続き- 前回はコチラ

クラスでの成績順位は基本的に非公表(上位のみ発表)だったので、僕は先生に聞いてみた。

「僕は、今、クラスで何番なのでしょうか?」

先生はハハッと笑いながら、「お前、ブービーだわ」と内緒で教えてくれた。

ブービー。狙ってもなかなか取れるもんじゃないなと思い、そして僕より下がいたので安心して僕もハハッて笑った。

笑ってる場合じゃない。もう既に5社くらい希望したが全て却下されてるのだ。

 

追い詰められた。希望は都会でSE(システムエンジニア)でそこそこ大きい会社で島耕作だ。

そんな会社はなかなかないし、あっても僕より成績が上のヤツが希望してる。

僕はしょうがないので毎日求人票がファイルされてる進路指導室に通いつめた。

名前のわりに何も指導してくれないその部屋に毎日通っていると、経理科の佐藤(仮名)も毎日やってくる。

彼もまた就職先が見つからない様子だった。

同じ境遇、類は友を呼ぶって事で僕らは一緒に求人票を探す事になった。

 

求人票は職種別に分厚いファイルにまとめられている。佐藤は経理職か営業職のファイルを探し、僕はSE職のファイルを探す。

「コギソ、ここはどうかね?」「そこはちょっとやめといたほうが良くね?」など互いの希望の相談をしながら職を探す日々。

ハイスクールでハローワーク。

 

ある日佐藤が言った。「オレ、ここにする!」と。

ついに来たか。仲間が一歩踏み出す喜びと寂しさ。それをかみしめながら、「どこよ?」と彼が差し出した求人票を見ると、

名古屋にある日立の子会社。コンピュータ販売会社で営業職だった。

条件はなかなか良かった。正直羨ましい。「良さげやね、いいじゃん!」涙目で言った。・・とうとう1人か。

 

そんな様子の僕に佐藤は気付かず、求人票のファイルから、「コギソ・・これってさ・・?」ともう一枚求人票を僕に渡してきた。

それは佐藤が選んだ求人票と全く同じ内容。でも1ヶ所違って職種欄に「SE」と書いてある求人票だった。

 

佐藤が発見した2枚の求人票は同じ会社の営業職とSE職の求人票。なぜか重なって2枚とも営業職のファイルに入ってたのだ。

恐らく学校側がファイリングする際のミス。1枚はSE職のファイルに入っていなければならない求人票だった。

 

「ジーザス・・・」普段は無神論者の僕もそうつぶやいた。恐らくこの求人票は今まで誰の目にも触れていないだろう。

ウハッ!これはイケる!「佐藤、俺もここにするわ!」夕暮れの進路指導室で僕と佐藤はガッチリと握手をした。

 

翌日、先生にその会社を希望すると、「こんな会社、まだ残ってたか?」と言われたものの僕の就職試験先があっさり決まった。

佐藤も決まった。

 

「あきらめたらそこで試合終了ですよ。」安西先生の言葉がグッと来た。

少年の詩

10.23, 2013

1990

 

高校時代。

コンピュータ技師になるという夢を抱いた僕は地元の商業高校の情報処理科へ進学した。

中学時代の成績はボチボチで高校進学もそれなりに受験勉強したおかげでスムーズに高校入学を果たしたが、

まだコンピュータ技師が何の事か良くわかってなかった。

丸坊主だった中学生から、前髪をシュッと垂らしたフミヤばりの頭を毎日20分かけてセットし、山の上の自宅から

自転車で行きは15分、帰りは1時間の道のりを毎日通った。

マンガとプラモとブルーハーツ、そしてやはりイチジクが大好きな普通の高校生だった。

 

部活は陸上部に所属。2年の春に新任の顧問から「丸坊主にしてこい」と言われ大喧嘩し、陸上部を離脱。

部員の有志を集め、仲の良かった先生に涙を流しながら
「俺たち陸上が好きなんです、うぇっうぇっ・・」と土下座して、顧問を引き受けてもらい「第2陸上部」を創設。
でも陸上は特に好きじゃなかったし、涙もウソだった。フミヤみたいな髪を切りたくなかったのだ。

そのうち第2陸上部は名前だけとなり、広いグランドの片隅で女子ソフトのバットとボールを借りて遊んで帰宅する部活になった。

 

高校1年のときは成績も良く、クラスでも上位にいたと思う。でもだんだんと勉強しなくなった。

夜遅くまでフランス料理屋でバイトしたり、朝までゲームで遊んだり、離れとなった僕の部屋に夜な夜な友達が集まり遊んでた。

毎晩のように「11PM」を皆で観て、週末は「おとなの絵本」を皆で観る。そんな日常を送ってた。実に平和だ。

そんなだから授業ではいつも寝てた。とにかく寝てた。猫並みに寝てた。成績もどんどん下がっていったけど特に危機感もなく、

「先生達は僕を不安にするけど、それほど大切な言葉はなかった」ってブルーハーツの言葉を鵜呑みにして遊んでた。

 

成績がどん底の2年生のある日、HRで先生が言った。

「成績のイイ奴から行きたい会社の就職試験受ける事ができっからね。自分よりイイ成績の奴が受けるって言った会社はあきらめろ。」

マジで?と思った。成績順となると良い会社や希望に見合う職は僕のところまで回ってくるのか?

回ってこないと思うわ。そりゃムリだわ。知らなかったよ成績順て・・・。早いもん順と思ってたわ。

 

高校卒業したら就職してSEとかプログラマーやって都会で島耕作みたいになるんだって思ってた僕。

このままでは地元でどくだみ荘のヨシオみたいになる。人生の岐路で最大のピンチが訪れた。

商売繁盛

10.19, 2013

1986

 

中学校時代。

中学生になった僕はそこそこ勉強も運動もできて、真面目すぎず、ヤンキーでもなく、戦争と平和、愛とロックにも特に興味がなく

マンガとプラモとラジコン、そしてイチジクが大好きな普通の中学生だった。

 

学校では難解そうだからと芥川龍之介の文庫本を手に取り、赤川次郎をバカにした。でも本当は赤川次郎の方が面白かった。

星新一や筒井康隆を読んで「時間、止めてぇなぁ」と言ってみたり、スコラを見てる友達に「宇能鴻一郎はすげぇ」とか言ってた。

机にイニシャルだの、夜露死苦だのを彫刻刀で彫ってた。ホントどうかしてた。軽度の中2病。

 

このころは欲しいものが沢山あった。でも当時の田舎には中学生がバイトする場所などなく、親からもらえるおこづかいは少なかったので

多岐にわたる趣味、食べ盛りのおなか、マンガだとかプラモだとか宇能鴻一郎を買う金はない。

僕は友達と考えた。何とかしてお金を稼げないかと。

 

「イモ掘ろうぜ、イモ。自然薯。」と誰かが言った。

 

自然薯(じねんじょ)は山に自生してるヤマイモのちょっと高級なやつ。

山の中で注意深くみると特徴のある葉を付けたツルがありまして、それの根元にほぼ垂直にイモがついてる。

それを掘って八百屋に行って買い取ってもらう。んでプラモ買う、ウハウハ。これが僕らの考えた策。

自然薯を掘るにはかなりの体力とテクニックが必要だけど、体力は有り余ってたし、田舎の子はそういうの得意だ。

 

それからというもの季節の良い休みの日に早起きして、家にあった「芋掘り棒」なる道具を持参し、

山の中で自然薯を掘っては八百屋に行き、その足でプラモを買いに行くってのを続けた。

稼いだ金は家には持って帰らない。僕らは宵越しの金はもたねぇのだ。

 

八百屋のおじさんは泥だらけで自然薯を売りに来る中学生から結構いい値段で買い取ってくれて、

プラモ屋のおばさんは泥だらけでプラモを買う僕らを怪しい目で見てた。

その後商売の拡大を目指し、より利益率の高いヘボの巣の捕獲を始めたのですが、この話はまた次の機会に。

 

そんな日々を過ごしてる時に日曜洋画劇場で「トロン」って映画を観た。中途半端なSF感をもってた僕は

「これからはコンピューターの時代だ!イモ掘ってる場合じゃねえ!」と思い、

将来はコンピューター技師になろうと決意する。コンピューター技師って何をするかも知らないのに。

盛者必衰

10.16, 2013

1980

 

ブログを続けるって事でとりあえずまだ自己紹介が全然足りないので引き続き自分の事を反省もふまえながら書いていこうと思います。

 

小学校時代。

四字熟語の問題で素直に焼肉定食って書いたり、

台風一過は家族の事だと思ってたり、

(株)月極は日本で一番大きな会社と思ってた少年だった。

ファミコンの本体は持っておらず、裏にマジックで名前を書いたカセットだけ持ってた僕は,

田舎の山を眺めながらすくすくとひねくれて育った。

 

父親は会社員、母親は当時小さな喫茶店「旭」を経営していて、2つ上のあんまりイケてない兄がいた。(今もいます)

マンガとプラモとフリスビーとイチジクが大好きな小学生だった。友達もたくさんいたけどクラスの人気者ってほどじゃない普通の子供。

 

そんな僕が小6の時にクラスの男子、いや学年の男子から注目を集める存在となる。

当時は「モノ」を持ってる子が人気があった。マンガ、ファミコン、BMX、エアガンなどなど。どれも子供では買える代物ではない。

「人気者になりたい!」そう思った僕は他の子が持ってない何かを作ろうと考えた。目を付けたのは雑誌。しかもエロ。

 

母が経営する喫茶「旭」には「プレイボーイ」が毎週届けられていた。古くなったプレイボーイはお店の裏にある倉庫にひと縛りにして置いてある。それをこっそり持ち出して、ふくろとじの部分を丁寧に切り取りホッチキスで止め、画用紙の表紙をつけ、マジックでタイトルを書いた、「ふくろとじ特大号」。

 

その冊子を学校でこっそり仲の良い友達に渡すとすごい反響を得た。

当時は小学生がグラビアだとかヌードだとかを見る事が出来る環境が少なかったから。

男子たちの手から手へ「ふくろとじ特大号」は僕の知らない子達まで旅を続け、

戻ってきたときには数ページと表紙の一部がなくなっているほどだった。

ほどなく「アレ」は誰のものか、次号はあるのか、よろしかったら頂けませんでしょうか等、

問い合わせが他クラスからも寄せられ僕は1年間「ふくろとじ特大号8」までを製作し続けた。

 

僕はふくろとじで人気者になったわけだ。

 

しかし、その後僕の後釜を狙い、学校にエロトピアだのスコラだのザ・ベストだのを直接持ち込む強者が現れ、

ふくろとじ特大号は廃刊となる。僕の人気も元に戻った。「エロ」の烙印だけを残して。

そして小学校卒業を迎えた。後に知る「盛者必衰」をこの時に学んだのだ。

SUTER

10.13, 2013

start

 

こんにちは。

今日からこの「SUTER」にてブログを書くことになりました、コギソです。よろしくお願いします。

記念すべきこの初めての投稿にナニを書くか。とても悩みましたがとりあえず自己紹介を軽く。

 

普段は岐阜市で花屋とか雑貨屋をやってます。出身は岐阜県東濃地方の田舎。

いろいろあって今は岐阜市に住んでます。最近は体力の低下が心配な41歳。

特にナニって特技もなく、ナニかを追い求める熱い探究心とか収集癖も薄く、ほどほどに善人で偽善者。思想も平凡。いやほんと普通。

こんな「普通」な僕が縁あってこの「SUTER」でブログを書く。・・・おもしろいとも思うし、良いのか?とも思う。

 

「SUTER」は最初聞いたとき、「STAR」だと思った。確かに「星」の意味も含んでるのだと思う。

んで、またたく星のごときブロガー達がきらめく文章を書き、それに読者が「しびれるゥ!あこがれるゥ!」的なものを想像した。

でも「SUTER」だった。日本語読みすると「すてる」。いろんな意味で「すてる事ができる人」つまりスターと。うまいなぁ大月さん。

 

<人は全てのものを抱え込む事は不可能だ。何かを得ようとした時、何かを捨てる覚悟が必要だ>

 

スティーブン・セガールかジャン・クロード・バンダム、もしくはどっかの誰かが言ってた言葉。

 

僕の今まで、そしてこれからの人生に於いて「SUTER:すてる」かどうかの思いやら話やら出来事やら何やらを、そして時には全くカンケーない話をここに綴っていきたいと思います。