ほぼ連日、モーレツな勢いでブログをアップしている感じがする。
書きながら自分を癒しているんだな。
そして、わたしにとって、書く、ということは、
誰かの目を気にして言葉を引っ込めたりはしないこと。
誰が読んでいるのかわからないけれど、
友達だけでなく、身内とか、仕事関係とか、娘の学校関係とか、
ほんと、誰が読んでいるのかわからないけど、
意識して、無難な、薄い言葉で綴るのはイヤだ。
そんなことするぐらいなら書かないし、
あれこれ言われたとしたら、
それは、わたしに、言葉を書くのをヤメロ、生きている意味がないよと言っているのと同じ。
数年前に、仕事で書いたコラムについて、夫に、
「よけいなこと書くな」と言われたことがある。
そのとき、わたしは、夫に、
「もの書きの妻を持ったんだから、ガタガタ言うな!」ときつく言い放った。
冷静に考えると、よくわからない説明だけど、
もの書きと名乗れるほどの人物でもないし、曖昧なんだけど、
以来、夫はなにも言わなくなった。
ありがたいと思っている。
ここのところいろいろ書いてきた苦しかったことも、
その相手の人は、わたしがものを書く、ということについて、
いちばんの理解者だと信じているので、
遠慮なく書いてしまいました。
当てつけにならないように配慮したつもりだし、
当てつけたくなかったし、
それよりもわかちあいたかったし、
変な誤解をさけるために、
時間が流れていくにつれて変化していくわたしの気持ちを、
その都度、直接、素直に伝えていたから、
伝えずにはいられなかったから、
深いところでわかってくれていると思う。
でもでも、やっぱり、ブログを読むたびに、
知りたくなかったことを知ったり、
わたしの心の揺れにふれるたびに複雑な思いをしただろう。
それでも、黙って受け止めてくれたことに、とても感謝している。
ありがとう。
わたしがこんなにも苦しんでいるのに、
あなたは新しいときめきとともに心弾む毎日を送っているなんてずるいと何度も思ったけれど、
本当は、同じようにつらかったのかも知れないね。
ここ1ヶ月は、仕事部屋のソファに寝そべったら最後、起き上がれなかった。
動き出すのが怖かったから。
動き出したら、自分が壊れてしまいそうだった。
じっとそのことについて考えて、
心の汁を1滴残らずしぼり出すような毎日だった。
1日がとても長く感じられた。
やけ酒を飲んでへべれけになったり、
好きでもない男と一夜を明かすといった、
一瞬の快楽におちいることもなく、ただひたすらに向き合った。
ちょうど仕事もヒマで良かったのかもしれない。
あの日々はわたしにとって、とても意味があるのだと思う。
もっと時間が経ってからふり返ると、その意味が明確になるのだろう。
そして、面白いことに、あんなにつらかったのに、
つらくなくなってきた今をさみしく思う。
こんなにも落ち込むことがあるのか、というぐらい落ち込んだのに、
なんだかんだと立ち直ってきている。
このたくましさに、自分でも惚れ惚れします。
前は、愛されたい、癒されたいと、人に求めてばかりいたけれど、
今は、わたしを必要としている人を愛したい、癒してあげたいと思う。
書く、ということで。
ああ、このブログはわたしの心情を綴ったオナニーみたいなものだね。
公開オナニー。
オナニーしているところ、ずっと、目をそらさずに見ていてほしかった。
そのほうが安心するから。
そして、その安心感とともに、ゆっくりとエクスタシーを迎えていく感じ。
なんとも言えない幸福感。
恥じらいではなく、安心感。
この感じ、わかるかな。
さあ、いろいろな想いは作品にぶち込もう。
ブログにエネルギーを注ぎすぎた!
いつか、ふり返るのがイヤになって、
ここ数日のブログを消してしまうかも。
現に、ちょっと前に、8月以前に書いたものを全部消してしまった。
過去を消したくなってくるんだよね。
☆今、読んでいる本
『天使と歩むライトワーカーの道』ドリーン・バーチュー
※スピリチュアル研究家として、初めて天使ものに手を出してみました。
違和感を感じなかったので、とどのつまり、どの考えも基本は同じ、ということだね。
読みごたえのある本です。

ゆうべの大食いチャンピオン、ついつい最後まで見てしまいました。
魔女・菅原 vs ギャル曽根が見られなかったのが残念。
ナンシーが生きていたら、菅原さんのこと、なんて言うかな。
チャンピオンのドクター・西川は、とてもイケメンだと思う。
終始、立ち振る舞いに好感が持てました。
そして、たいてい、食べ方の汚い人は、最後まで残れないね。